あらかき

躁鬱の即席遺書

振り返り

 2020年も、もうすぐ終わる。この一年は、序盤から怒涛な1年であった。某疫病が流行り出して、混乱に陥った。漠然とした抽象的な不安と、無関係な面をして溜まっていく課題が、僕の春を襲った。いつしか、そんな酷いことをする大学を無自覚に見切りをつけていた。同時期に、或る友人の紹介で、新しいコミニティと関わる事が増えた。僕が嫌う情報社会にも、良い一面があるものだと、感心した事を覚えている。外部での盛り上がりは白熱がおさまらなかった。この一年の上半期は、人生で1番音楽と近い位置に立っていた。同時に身体にとてつもない負荷を掛けていた。僕はその事に気付いていた。そして、一時的に音楽から身を引くことを決めた。

 7月、久々に旧友と再会し、たわいもない会話で盛り上がった。そんな中、ひょんな事からアイドルマスターの10余時間とかいう、今考えてもだいぶ頭の悪い企画を観る事が決まった。このために律儀に早起きしてそいつの家へ向かい、それを観た。虜になった。同時に、音楽から離れる良い機会になった。気付けば今となっては、生活に欠かせない媒体となってしまった。イベントも走った。アルバイトや課題と並行して行ったので、勿論、朝まで起きてプレイした。昼夜逆転はその時期から再発したわけではなかったが、この媒体が理由に夜更かしする機会はいくらでもあった。本末転倒であった。おかしいな。
 
 アイドルマスターのおかげで、音楽と、サブカル媒体と、バランス良く良い距離を保っているこの頃、免許を取り、車の魅力に再燃。友人と時計を観に行ったりするうちに、時計の魅力を再認識。今となっては、良い車、良い腕時計、ボロいストラト、などと呪文を唱える日々が続いている。アイドルマスターに金を貢いだり、ガソリン代を贅沢に使ったりと、出費が捗り、機材を買うお金を貯める余裕がない。転職をしようか本気で考えている。良い腕時計が買いたい。5万円前後の腕時計を買おうか迷っている。どうせ10万の時計が欲しくなるのは目に見えている。しかし、欲しいのだ。良い腕時計が。

 と言ったように、この一年。全く悪くない。むしろ、素敵で素晴らしい一年だったと断言できる。新しい交流、新しい価値観。そして新しい趣味が増え、インスピレーションをとても得た。無論、別れもあった。それは一時的なものから、絶対的なものもある。しかし、クヨクヨしていられない。前進の1年に一時停止は似合わないのだ。ここまで良い1年になってしまったので、鬱々しい周りが、すごく気に入らなかった。この一年で1番変化したと感じたのは、鬱病にとても厳しくなった事と断言する。とても語弊を生む発言ではあるが、間違い無いのである。そんな人達が羨む人になりたい。

UNTIL EVERYTHING GOES WRONG

飛び出た音は、瑞々しい、エネルギッシュな、かつてのB-Flowerが帰ってきたような曲であった。一曲目。イノセンスミッションは、正にB-Flowerの帰還を象徴する曲である。

「何もかもが駄目になってしまうまで」というタイトルからは、想像できないようなポップで微笑ましくなるような楽曲である。続く2曲目。SPARKLEは、「わかんないの?」と挑発的なスタートで始まり、パンクのような有り余ったパワーをぶつけてくるような印象を受けた。22年間、必ずしも良いことだけでは無く、谷も律儀に降ってきたであろう彼等。しかし、「なんだと?この野郎」と噛み付いてくるような棘を捨てずに大事にしてきた彼等の観た景色は、確かにまだまだ坊やの僕には「分からない」彼等だけの景色が広がっているのであろう。

3曲目。Another Sunny Dayは、イントロの日差しを浴びずにはいられなかった。そうそう、これこれ、と思うB-Flowerらしい楽曲だと記憶している。八野英史さんの歌詞は、綴ってきたそれが美しく輝いているのにうっとりしていると、脇腹からいきなり刺してくる「刃物」がある。これがとても爽快な印象を覚える。隠していた爪をピンポイントで活用している。八野英史さんの歌詞の魅力の一つだと思う。

新生B-Flowerの特徴の一つとして、今まで行わなかった直接的な表現が挙げられる。そのうちの一つである、僕は僕の子供達を戦争へは行かせない。現代社会において危惧するべき人災。平和ボケし、安心し切っている我ら日本国民であるが、それを良しとせず、今まで行わなかった叫びを聴くことが出来る。しかしB-Flowerというバンドは何もクールを気取っていた訳ではない。煮えたぎった情熱や想いが、滲み出るバンドである。問題作、と呼ぶのは無理もないが、この楽曲は確実に今後のB-Flowerの歩む道を確立している。

このアルバムには、インストが2曲入っている。Morning Dewはそのうちの1曲だ。琉球王国の民である僕には、頭で分かっても身体で鳴らすことのできない音だと認識した。これは大和民族の曲だと思った。とても短い曲だが、新生B-Flowerの新しいピースとして、非常に興味深い楽曲である。そのあと聴こえる、気怠さを覚える楽曲。つまらない大人になってしまった、という楽曲は、これまでのB-Flower、そして輝きを失ってしまった大人としての「枯れた」大人達の楽曲という印象がある。元々B-Flowerの楽曲は、曲はポップで歌詞は暗いといった大まかな特徴があった。楽曲の印象で、ここまで「枯れた」印象を覚えるのは驚いた。「つまらない大人になってしまった」というあくまでも他人事、3人称視点で見る自分、という存在を綴った歌詞。八野英史さんの歌詞の魅力の一つだ。自分の事を他人事のように受け取ってしまう僕は、共感と、妙な居心地の良さを覚えてしまう。言葉で説明し難い魅力が、八野英史さんの歌詞にはある。

それから一転して明るく前向きなイメージの強い「自由になりたい」は、YouTubeで聴いたのが最初で、CDが届いて聴いてる際、これも新曲だったんだ、と思ったのが正直だった。というのも、あんなエネルギーの湧いた楽曲は、脂ののった時期の楽曲だと認識するのが無難だと思ったからだ。てっきり、インディーズの頃の楽曲だと思っていた。なるほど、B-Flowerは、未だに鮮度が落ちていないのである。瑞々しい、エネルギッシュなギターリフとリリック。続く「君に触れたら」という楽曲も、B-Flowerというバンドの今までの良さを大事に包み込んだような曲である。ほんのりと漂うダークでポップな雰囲気。これぞ、正しく。

Gentle Outsiderは、このアルバムに収録されているもう一つのインストである。ギターの美しく繊細なアルペジオハーモニクス、やはりどこか枯れたような寂しいような。そんな印象を受ける楽曲である。永遠と続くアルペジオは、先程の曲の「最低でダークな日々は終わるの?」といった訴えを奏でているような印象も受ける。そして「純真」という楽曲へと続く。僕はこの楽曲が大好きだ。シングルバージョンとは違い、ストリングスが控えめで、アコースティックギターアルペジオがとても耳に入ってくる。新生B-Flowerの魅力のひとつである直接的な表現が、ここでも遺憾無く発揮されている。とても上品で、美しい楽曲である。僕も、こんな楽曲を作りたいと溜息をこぼしてしまう。

そしてこのアルバムは「葉桜」で幕を閉じる。あっという間に過ぎゆく時間。生き急ぐ我々のように響くギター。「また春が過ぎて行く」と始まる。思えば今年は驚くような出来事が沢山起きた。それらが今後も続いて行く気もする。それこそ、何もかもが駄目になってしまうまで。しかし、B-Flowerはネガティブに終わらなかった。まだどこまでも行くと綴った。何もかもが良くなるまで。そうだ。僕の人生も始まったばっかりだ。何度春が過ぎようが、自分の莫大な道を走って行く覚悟は出来ていた筈だ。B-Flowerに背中を押されるのは、新鮮な気持ちがする。でも、悪くない。どこにだって行ってやると、歌っている。それが「何もかもが駄目になってしまうまで」であっても「何もかもがうまくいく」と信じて。

Dear, B-Flowerと、それを取り巻く者達への

 B-Flowerというバンドと出会ったのは今年の2月だったと記憶している。丁度就職休みが始まって自動車学校に重い尻を叩きながら通い始めた頃。同時に疫病が巷でも大きく取り上げられて、無意味に不安を煽り始めた頃でもあった。やはりこの頃は、とても寒かった。

 元を辿っていくと、ひな菊三人衆という3人のボーカルの存在を知ったのが、B-Flowerというバンドを知ったきっかけになる。僕は、スピッツが、草野マサムネさんの歌声と歌詞がとても好きだった。色々調べたり聴きあさったりしているうちに、そのひな菊三人衆の他の2人のボーカルを知った。まずはフィッシュマンズを聴いた。存在は知っていたが、聴いたことがなかった。しかし、その完成度を語る必要もないくらい完璧なバンドであった。しかし、フィッシュマンズを聴いて、満腹感を楽しむほどの落ち着きを僕は持っていなかった。やはり、ひな菊三人衆の最後のボーカル、「八野英史」の存在がとても気になった。音楽アプリで検索をかけてみると、アルバムが4、5枚程ヒットした。僕のいつもの癖で、1stアルバムから聴くことにした。一曲目、「リラの咲く日々」の12弦ギターの爽やかなイントロを初めて聴いた時の、頭の中を駆けていった稲妻を、僕は未だに覚えている。

 曲のアレンジはすごく爽やかでポップな印象を受けた。しかし、神経を澄ませて耳を傾けて聴くと、(そうでもしないと歌詞を聴き取れない、聴き取ろうとしないのかも……)今までにない「同情」でもない、「共感」でも、物足りない、八野英史さんの綴った歌詞の何かが、僕の心に引っかかるのだ。視点がそうなのかもしれない。自分のことなのに、どこか他人事だったり。どこか根暗だけど、それでも純粋な何かを、大事にしているような。言葉で綴ると、どこか照れ臭くなるような、自分のことが嫌な奴のように見えるような。そんな青二才の僕が綴るには少し人生経験が足りないような何かが、僕を振り向かせたのかもしれない。姿勢というか、視線というか、それが近いのかもしれないと思った。こんなおこがましい事を記すのは、よくないのかも知れないが。

 そんなB-Flowerが22年振りに、新しいアルバムを発表する。『何もかもが駄目になってしまうまで』~ UNTIL EVERYTHING GOES WRONGが11月11日に発売される。アルバムの話になると、八野さんは、いつものように申し訳なさそうにアルバムの進捗具合を報告する。ファンは温かい目で見守りつつ、八野さんの背中を強く叩くのだ。が、新参者の僕は、待っていないし、その熱い輪の中心にはいない。しかし、新参者は僕以外にも、きっといる。渦はもっと、中心を目指し、潮は流れるのだ。B-Flowerと、それを取り巻く方々、僕を含んで、何処に行くのか、何処まで行けるのか。僕の期待は、おこがましくも、おそらく、ここで終わらない。

8月

 8月が来たと思えばもう9月である。2020年は、どうも時の流れがはやい。街を歩けばハロウィンに備えたお店が横断幕を掲げている。8月はプロデュース活動をしたりバイトでオンライン授業を展開したりギターの練習をしたり、なんだかんだ充実はしていた。アイマスを通して改めて自分のリズムがタメるスタイルだったことに気がついた8月であった。
 そんな8月は、音楽の聴くジャンルも時期相応になっていた。夏場は、フュージョンを聴く時期である。俺の、音楽に於けるジャンルの周期が存在する。冬になればブルースをよく聴くようになるが、夏場になると妙にフュージョンを聴きたくなる。Michael LandauやSnarky Puppy、Allan holds worthなどを聴いた。それと並行してアイマス関連の楽曲を好んで聴いた。想像以上にジャンルの幅が広くて驚いたが、これがアイドルやポップスの強みであると再確認した。また、日本のフォークシンガーなども聴いた。山崎ハコさんが最近のお気に入りである。日本の刺さるような哀しさを表現したら右に出るミュージシャンはいないのではないだろうか。また、FIVE BEANS CHUPというバンドもここ最近のお気に入りである。俺は、八野英史さんの感性にものすごく共感するものを感じるし、多大な影響を受けている。
 そんな8月は、アコースティックギターを買った。EpiphoneのTexanを購入した。f:id:uz4101x38r323s163:20200904222043j:plain
 The Beatlesのポールが使っているアコースティックギターで、中学一年生の頃からの、憧れを抱いていたギターである。晴れてこの機会にと購入した。深夜テンションの状態でポチったギターだったので些か不安は残ったものの、その不安が晴れるほどの良さを持っていたので、とても満足している。made in Indonesiaだったのが意外であったが、それもあってか、作りは雑な所もあるが、木材が良いのか音が良かった。最近は専らアコースティックギターを触っている。昼間はアコースティックギターで練習して、夜はエレキギターを生音で練習している。アコースティックギターを触った後にエレキギターを演奏すると、如何に演奏しやすいのかが分かり、とても感動するのである。アコースティックギターも無事購入できたし、これを用いて作曲も励みたいと思った。
 そんな8月は、例年だとあまりいい月ではないが、今年の8月は充実していたと記憶している。

サブカルに再燃

 わっちゃ!俺は、サブカルものに、またお熱のようである。
 7月も死ぬ手前、俺はひょんなことからアイドルマスターの15時間生配信たる映像媒体を視聴することになった。
 というのも、それは用事を済ませる道中、偶然にも某親友の彼と再会したのがきっかけである。彼は音ゲーマーでプロデューサーである。そんな彼とは、親友にも関わらず、胸痛の話題というものが極端に少ない仲でもあった。(その割には俺の友人の中でもダントツで親しい仲である)
 その生配信を友人と視聴することになった。朝5、6時頃に目を覚まして。とても体に負担をかけてしまったものの、不覚にも俺は、このコンテンツにハマってしまった。テーマが素晴らしかった。それと、キャラが、めちゃくちゃアイドルやってて良かった。アニメと映画を1日で視聴し終え、一旦帰宅、食事と風呂を済ませて再び彼の家のインターホンを鳴らした。第二ラウンドは21時だったと記憶する。
 無事視聴し終え、その日起こったことを思い返しながら悦に浸っていたら、眠れなくなった。深夜2時からの格闘劇の幕開けである。
 結局俺は寝なかったと記憶している。6時から朝礼が始まり、ぶっ通しでライブ映像が流れていたものの、俺は暫くの間、気絶していた。(ライブ映像は後日、全部楽しませて頂きました)
 気絶を経て、帰宅したら、俺のiPad内のデータに、アイマス関連のゲームアプリを確認した。いつの間に……と云うのも、それほどハマってしまったのである。この俺が。周りの知人達は、俺があの手の媒体にハマることに、ものすごく驚いていたが、俺は元々、偏りはあったもののアニメオタク兼所謂ゲーマーであった。尚且つアイドルも好きな人種だったので、俺から言わせると、ハマらない方が幾分おかしいのである。ハマる条件は全てクリアしているので。
 そこから俺は、一プロデューサーとしての道を歩んでいくが、この話はまた次回。

 現在、アニマス(アイマスのアニメね)が、期間限定ではあるものの、アーカイブ配信を行なっている。アイマスの影響で、声優業の方々に再び関心を抱いていた。俺は手当たり次第、以前好きだったアニメなどに出演していた声優の方々をチェックしていた。そして、いつの間にか、俺はフルーツバスケットを読んでいた。
 フルーツバスケットは、そもそも去年、愛蔵版の1巻を購入して以来、ハマった作品で、丁度去年のこの頃に通販で大人買いをしたので所持はしていた。しかし、読む気力とタイミングが見つからなくて今日まで読むことなく、埃を被っていたのである。
 通販でギターを購入し、受け取るまで時間がかかるであろうと予測して、俺はフルーツバスケットを読むことにした。半分まで読んだ。最高だった。
 俺は1年に数回、サブカルもので人間の美しさや責任、義務を学ぶ機会があるらしい。家族間での絆や、向き合い方、他人との接し方に焦点を当てた少女漫画だが、硝子の少年の俺にもそのメッセージは重く届いて、思わず涙を流してしまった。はやくアルバイトを辞めて、フルーツバスケットをゆっくり読み、ガチの喋り方で永遠にオタクトークがしたい……!

 また、トラブルチョコレートたるアニメ作品も視聴している。今まで観てきたアニメとは違うオーラを放った作品だと認識しているが、これがものすごく面白い。これを語るにはまだ知識と経験が足りぬ。これが悔しい。とても悔しいのだ。嗚呼はやく、俺にサブカルを楽しめる時間をください。まだまだ俺は、サブカルを求めている。しかし課題だの仕事だのと、俺を阻むものもいる。そういうのは、本当に、十分です。
 

ブルースのリズムについて

 そもそもだが、これらを文字だけで説明するのは無理がある。だが、実際に聴くだけでそれらを言語で認識する事も、私は難しかったので、今回はそれを補う事を目的として文章を綴りたいと思う。カーティスメイフィールドを聴きながら。説明足らずの稚拙な文章で。

 黒人音楽は、「グルーヴ」が重要だというのが通説である。じゃあこの「グルーヴ」なるものは一体何なんだ、というのが最初の疑問かもしれない。とても粗末な言い方をするなら「ノリ」である。それはリズムだとかシンコペーションだとかテンポだとか、それを構成するものは数多い。故に具体的にこれといった定義は、一般的に定まっていない。自分にとってのグルーヴを定義する旅はそこから始まるのだ。

 さて、この「グルーヴ」なるものは、音楽のジャンルによっても、やはり若干の違いが生じる。身体の使い方や、楽器の奏法、歌い方など、些細な変化でそれらは意外なほど影響を受けてしまう。例えばジャズのグルーヴとファンクのグルーヴは全く異なるものである。それは楽器の扱い方や、身体の使い方が異なっているためである。尚、ここでマイルスデイヴィスの名前を挙げた貴方は意地悪だ。

 ブルースのグルーヴもやはり他の音楽とは違う。これには語弊があるが、ブルースのグルーヴというのは、確かに確立しており、万人がそれをブルースのグルーヴだと認識できるほど個性的なものではある。では何故、筆者は先程語弊があると述べたのかと申せば、ブルースが他の音楽ジャンルに与えた影響が、非常に大きいからである。ジャズにもファンクにもソウルにも、やはりブルースから影響を受けていることは否めない場面も生じるのだ。別の言い方をするなら、ブルースのグルーヴを習得することが出来るのであれば、他の黒人音楽での演奏で応用することも可能になる。

 さて、ブルースのグルーヴで重要な要素は、やはりリズムである。シンコペーションを活用するブルースを、私はあまり認識していない。テンポが変わるブルースもやはり多くないだろう。(ジョンメイオールバンドにエリッククラプトンが参加したアルバムの一曲目、オーティスラッシュのall your loveはテンポが途中で変わる記憶がある)つまり、ブルースのリズムを習得することが重要である。

 ブルースのリズムは「三連符の空打ち」と呼ばれるリズムで演奏される事が主である。他の黒人音楽からリズムを吸収したブルースも存在するが、大概のブルースは上記のそれで演奏する事が出来る。三連符というのは、1拍の中に音を3つ詰め込むものと認識して問題ないと思う。ベートーヴェンの運命の有名なフレーズ、「ダダダダーン」の最初の3音は三連符である。あれをイメージして頂きたい。その真ん中のダを抜いたものが3連符の空打ちたるものである。「ダッダダーン」になる。極端な話、ブルースのリズムはこれである。

 ブルースのリズムを語る際に「ハネる音」という輩がいる。(俺もそうだった!)がこれはどちらかというとジャズに用いられるリズムだと私は認識している。馬のリズムである。「タタッ!タタッ!」といったリズムだろうか。それでブルースをやるとおそらくしっくりくる演奏にはならないだろう。

 これらのリズムを取り入れるには、やはりその類の音楽を聴いて耳を肥やす必要がある。しかし、私の経験から申し上げるのであれば、いきなり戦前ブルースや、黒人のどブルースを聴いても全く楽しめない。何故なら、それに対する抗体を持っていないからだ。即ち、それらの抗体を生産すべく、それらに影響を受けたミュージシャンを聴いて間接的に取り入れる事が、最初の一歩になると私は考える。

 https://youtu.be/6TWdLqER014
ジョンメイヤーはSRVやJimi、クラプトンなどのブルースに影響を受けたミュージシャンの影響を受けたミュージシャンである。上記のは、三連符の空打ちのリズムの取り方が非常にわかりやすく、優れていると私は感じる。

 https://youtu.be/66m1sHLrU0A
エリックゲイルズも黒人ブルースマンだが、現代的で白人ブルースなどの影響を受けた逆輸入型のミュージシャンである。彼の身体の使い方を見て頂きたい。黒人のリズムは横ノリとよく言うが、語弊がある。正しくは縦横無尽に揺れているのだ。そこを意識して取り入れるだけでも、リズムの取り方は向上するだろう。(少なくとも俺は向上した)

 https://youtu.be/IUQ87Al-huo
キングフィッシュイングラムは、最後のブルースマンと称されたりする。(SRVがめちゃくちゃそれ言われてた)弱冠20歳くらいの年齢であのリズムを完全に物にしているのは、やはり民族間の差は否めないが、今からでもそれを習得するのは不可能ではない。生活の一部にブルースを持ち込むのは非常に難しいが、少しばかり集中して聴くと、近道になることは間違いない。ちなみに、歌謡曲しか聴かない黒人はリズム感がよくないらしい。それを習得するには、結局それを習慣付けるしか道はないのである。

ZARDにハマった

人生19年目に入って、ZARD坂井泉水さんの13日目の命日に遭遇した。写真を拝見して、まっ先に思ったことは、とても美しい女性だな、ということである。それこそ俺の掲げてきた女性のタイプとは、かけ離れているタイプだが、やっぱり美しい女性はそんなの関係なく心に響く魅力がある。そのような謂わば邪道な道の踏み込み方から、俺のZARDおじさんの生活が始まった。

5月いっぱいまで、ZARDの公式YouTubeチャンネルにて、ライブ映像やらミュージックビデオやらを配信しているので、是非とも観てね。(うち5曲はそれ以降も公開するらしい)

ZARDの魅力ってなんだ。そう尋ねてくるのならば、俺はまず彼女の歌唱力の高さを挙げる。スタジオ音源だと、本当に解りにくいが、ライブ音源を聴くと、彼女の声量が、如何にデカいのかが分かる。ちゃんとお腹を使って発生しているんだろうなってのが分かる。それともう一つ魅力的なのが、彼女がほとんどの楽曲の歌詞を制作しているからこそ出てくる信憑性というか、説得力があるというか。彼女の性格や、伝えたいこと、表現したいことがダイレクトに伝わってくる。芸術的だとか、難解な歌詞でなく、ポップスを演奏、披露、楽曲を聴かせるにあたって、これは非常に重要なことだろう。歌詞の考察なんて面倒だからやらない俺ですら、ぼ〜としながらでも情景が浮かぶほど分かりやすい。そして言葉の選択がとても大好き。可愛い〜っつってはしゃいだり、俺にとっても課題のようなモヤッとしたことに、思わず「ウッッ……」となってしまうような歌詞も、本人が真剣に音楽と向き合って綴ったから、説得力があるし、彼女自身を、ありのままに表現している。もちろん、それに与えたインスピレーションとなる楽曲のクオリティの高さも魅力のひとつである。ギターがファンキーなカッティングをしていたり、どことなく某楽曲の良さをオマージュしていたり、語彙力が欠壊してしまうほどカッコいい楽曲もある。それは勿論バックの演奏のクオリティの高さがそうさせているのだ。俗に言うハズレ楽曲、アルバムの埋め合わせ楽曲たるものが存在しないのである。ZARDという音楽プロジェクト(?)バンド(?)の魅力はその姿勢とそれからなるクオリティの高さなのだろう。

ポップスをやりたい人間なので、ZARDの楽曲を聴いて良かったと思った。ポップスの教科書と呼んでも差し支えのない完成度の高さだと思う。ポップスとどう向き合えばいいのかという、考えれば解りそうなことでも、不勉強なのでロクな答えを導くことができない人間なので、この姿勢を見習おうと思う。畑に篭って、ポップスを侮蔑している方々は、この手の楽曲は嫌うだろうが、一度プライドを捨てて聴いて欲しい。(そこまでする必要は全くないが笑)それにしても、あの綺麗な歌声。本当に素晴らしく、華やかな声だ。一緒に演奏してみたかったなと思い、寂しくなる。悲しくなる。惜しい人を、日本は亡くしてしまった。ご冥福をお祈りします。

※追記 命日当日にインターネット上で花を献花したのは、とても良い思い出です。