あらかき

躁鬱の即席遺書

Dear, B-Flowerと、それを取り巻く者達への

 B-Flowerというバンドと出会ったのは今年の2月だったと記憶している。丁度就職休みが始まって自動車学校に重い尻を叩きながら通い始めた頃。同時に疫病が巷でも大きく取り上げられて、無意味に不安を煽り始めた頃でもあった。やはりこの頃は、とても寒かった。

 元を辿っていくと、ひな菊三人衆という3人のボーカルの存在を知ったのが、B-Flowerというバンドを知ったきっかけになる。僕は、スピッツが、草野マサムネさんの歌声と歌詞がとても好きだった。色々調べたり聴きあさったりしているうちに、そのひな菊三人衆の他の2人のボーカルを知った。まずはフィッシュマンズを聴いた。存在は知っていたが、聴いたことがなかった。しかし、その完成度を語る必要もないくらい完璧なバンドであった。しかし、フィッシュマンズを聴いて、満腹感を楽しむほどの落ち着きを僕は持っていなかった。やはり、ひな菊三人衆の最後のボーカル、「八野英史」の存在がとても気になった。音楽アプリで検索をかけてみると、アルバムが4、5枚程ヒットした。僕のいつもの癖で、1stアルバムから聴くことにした。一曲目、「リラの咲く日々」の12弦ギターの爽やかなイントロを初めて聴いた時の、頭の中を駆けていった稲妻を、僕は未だに覚えている。

 曲のアレンジはすごく爽やかでポップな印象を受けた。しかし、神経を澄ませて耳を傾けて聴くと、(そうでもしないと歌詞を聴き取れない、聴き取ろうとしないのかも……)今までにない「同情」でもない、「共感」でも、物足りない、八野英史さんの綴った歌詞の何かが、僕の心に引っかかるのだ。視点がそうなのかもしれない。自分のことなのに、どこか他人事だったり。どこか根暗だけど、それでも純粋な何かを、大事にしているような。言葉で綴ると、どこか照れ臭くなるような、自分のことが嫌な奴のように見えるような。そんな青二才の僕が綴るには少し人生経験が足りないような何かが、僕を振り向かせたのかもしれない。姿勢というか、視線というか、それが近いのかもしれないと思った。こんなおこがましい事を記すのは、よくないのかも知れないが。

 そんなB-Flowerが22年振りに、新しいアルバムを発表する。『何もかもが駄目になってしまうまで』~ UNTIL EVERYTHING GOES WRONGが11月11日に発売される。アルバムの話になると、八野さんは、いつものように申し訳なさそうにアルバムの進捗具合を報告する。ファンは温かい目で見守りつつ、八野さんの背中を強く叩くのだ。が、新参者の僕は、待っていないし、その熱い輪の中心にはいない。しかし、新参者は僕以外にも、きっといる。渦はもっと、中心を目指し、潮は流れるのだ。B-Flowerと、それを取り巻く方々、僕を含んで、何処に行くのか、何処まで行けるのか。僕の期待は、おこがましくも、おそらく、ここで終わらない。