あらかき

躁鬱の即席遺書

喜哀

塾で古典を教える機会があった。中学三年生の受験生に。10月まで俺は古典のこの字も出来なかった。そんな人間が古典を教えるのが務まるのか。不安が募った。実際それは未だ拭えず。しかし、それでも古典を理解して楽しいと言ってくれるその生徒の笑顔を見ると、いとうつくし、と云った具合で微笑ましくなった。思えば、高校生活を振り返ってみれば、その触れ合いは、初めて自分の良心を満たした出来事だったのかも知れない。同時に、これらの行いが何か生産的な事であるのかと考えると、嬉しくなる。この三年間、一人で抱え込んできた苦痛が、ようやく実用的なことに活かせる時が来た。何だか良い気持ちだと思った。

また、課題を終えて、提出し終わった。肩荷がとても軽くなったのを覚えている。が、それでも漠然とした不安や、奥から滲み出る陰鬱なものを感じ取った。あゝまた今年も苦しまないといけないのかと思うと、またやるせない気にもなり、上記のことでさえ、無意味に思うようにさえなる。それを下には下がいる。こんな程度の苦を嘆かないようにしなくちゃと云って押し潰すのだが、ふと思う。その云う下とは?他人の苦が、何を以ってして重いのか、何が基準になってるのか。いや、いい。もう分からない。あまりこう云うことに自信を持てない。あゝ自信が欲しい。就職休み、一度病院に行ってみないといけない。本当に僕のこの躁鬱は病気なのか否なのか。

ハードデイズナイト

疲れた。一日中働いた。犬のように働いた。足が丸太のようだ。はやく帰りを待っている君に出逢いたい。独り身は辛い。寒い夜が、僕を傷付ける。雨も降ってきて、なんだか硝子に映る自分が悲劇な俳優に見える。くたびれたジャケットと、大層な責任を背負って。塾の仕事もほとんど慣れた。課題も分厚いノートを仕上げて、読書感想文だけとなった。原稿用紙を買って、さっさと本を読まないといけない。俺に休みはないんだなと、染み染み思う。途中、他人の幸せが見える。華やかだ。限りなく華やかに見える。俗っぽい幸せだけど、私もそれを望んでたんだなと思う。そして、この堕落した汚らわしい自分とそれを照らし合わせて傷付く。呆れた。とても悲しくなる。何故こんな道を歩いているのだろうか。冷たい風が、僕の体を震わせる。本当にこれで良いのだろうか。全く正体の分からない不安が、次第に肥大化していく。そこで、私は思考を止める事にした。簡単な事である。食事を楽しむ事だ。味覚を刺激して、己の感受性を刺激する。あぁ、俺は生きている。この喉を通って行った御馳走達に生かされているんだ。そのあと、お腹に血液が周り、眠くなる。最悪な思考を止める三要素である。おかげで昼食を取ると眠くなってしまう。これは、非常に厄介である。音楽も、私の心を潤してくれる。様々なジャンルを聴くようにしているが、まだまだ勉強不足だなと感じる。また、音楽の時代背景を考えるようになった。例えば、沖縄音楽。あの泥臭さやリズム感は、黒人音楽に似たものを感じる。その背景を辿ると、薩摩侵攻とシンガポールの繁栄が根本的な原因ではないかと思う。そして、米国からの占領も重大な出来事だっただろう。そんな事をふと思う。疲れた時は、やはり、聴き慣れたThe Beatlesやクラシックロック、Bluesなどが耳に馴染む。聴き慣れた音楽、本当に素敵なものである。大事にしていきたい。最近、筋トレを頑張って続けているが、躁鬱病が多少筋肉がつき始めた、と云った様な出来で、特別体の変化は未だ感じず。それでも何かがあると信じきってスクワットを続ける自分が、どうも滑稽で、惨めな気さえもしてきた。本当に僕は、先が怖い。自信家に見られがちだが、俺もそこまで楽ではない。人間失格が多数に共感されている。みんな自分にしか理解できないと言っている。大庭葉蔵など、全国にいるんだと思った時、自分の中の何かが醒めた。惜しかったな。失敬。

答辞 案2

こっちはこっちで全く好きになれないです


新しい時代が訪れた。未だ見ぬ時代。社会は次第に変わっていく。周囲も変わった。目付きが変わった。意識が変わった。それに対して、正直困惑した。焦燥も感じた。それでも我々は、自分の変わらない夢に向かって進んでいったのは確かだ。3学年になった。春。迫ってくる、進路の2文字。進学か就職か。或いは他の道を目指すことも考えた。それぞれ道は違うが、その強い志は、皆立派であった。そこには、葛藤があった。躊躇いもあった。涙を流した日もあった。しかし、諦めきれない夢があった。譲れない道を目指した。
3学年。高校生活も終わりが見えてきた。楽しかった日々は、川の流れのようであった。高校生活、最後の青い春。桜の花は今にも散りそうだった。迫ってくる行事に対し、全ての力を注いだ。(学園祭のそれが続く)

答辞 案1

こんなこと言うのも何だが、比喩が多過ぎて答辞務まらないのでは?とさえ思う。


新しい風が吹く。疲れた肩を押し退けて。周りの星は輝いていた。寒い夜を何度も越した。それでもまだ空は暗いままだった。周りが次々と暖をとっていくのを見た。羨ましかった。なんだか悲しかった。それでも日なたの窓に憧れていた。目を凝らしてみると、共に支え合った仲間が生きていた。同じ夜を過ごした仲間。道を外すと、助言を下さった師も、まだ我々を見守って下さっていた。まだ下を向く暇は無いと悟った。だからもっと頑張ろうと思った。新しい風が吹く。また一歩、足を揃えて星を目指す。決して近くはないけれど。必死に手を伸ばす。決して同じ星ではないけれど。それぞれの未来を信じて。僕は私は、走り抜けた。昔咲いた花は散っていった。瞬きする程長い季節は過ぎ去った。寂しいけれど、もう怖くない。眩しく輝く一筋の星。しっかりと胸に抱いて今を生きる。新しい風と共に、僕は私は、また一歩踏み出そうとしている。

あゝひめゆりの塔を鑑賞しての感想

クリスマス、僕は「あゝひめゆりの塔」を拝見した。予定がなかったから。こんな簡単な理由で見るべきではなかったというのが感想の1つである。皆様には、こんなスタンスでこの映画を観て欲しくない。「ひめゆりの塔」と言うからにはテーマは沖縄戦ひめゆり学徒隊の話である。元は女生徒を中心に結成された未来の先生、看護師などを育成する学校の生徒たちである。戦争が激しくなるにつれて彼女らも戦争に巻き込まれると言ったストーリーである。

この映画はあらかじめ沖縄戦について興味関心を持って勉強してから鑑賞した方が悲惨さが伝わるだろうと思う。当然ではあるが沖縄県では、"沖縄戦の悲惨さ"について語り継ぐ活動にどの県よりも力を入れている。大和の地域ではそれについて多少議論していると聞いたことがあるが、それはさておき。僕はこの手の話を高校生になっても聞かされるのには少し疑問を抱いていた。何故なら、体験談を聞くのは小、中学生の間で十分だと思っていたからである。高校生になったので、何故戦争が起こったのかという経緯について学ぶべきだと思っていたからである。

さて、前口上はこの辺りで終え、この映画の感想を述べようと思う。体験談を聞くだけでは、戦争の悲惨さについて、十分に理解することが出来ないと感じた。実際にその恐ろしい映像を見ないと、あの悲惨な出来事を理解することが出来ないと強く思った。僕が1番衝撃を受けたシーンがある。空襲で足を怪我した女生徒が非難する際に壕に取り残され、動けなくなった兵士と一緒に配給された牛乳を飲むシーンである。これが何を意味するのかは、勉強してきた方は理解できると思う。分からなかった方は、是非とも沖縄戦について調べてみて、この映画を見てほしい。この場面の演出がとても日本人らしい感性だなと感じた。この映画は沖縄っぽさがなく、パラレルワールドを覗いてるような気持ちになるが、時代考証などは、方言を除くと中々完成度が高いと思う。それくらいしっかりとした作りになっている。また、見終えた後に、一番最初の場面を思い出す。我々は平和に慣れてしまっている。この70余年、そしてそれから先、僕は何ができるのだろうか。と考えたクリスマスであった。この話は本当にシリアスなので、苦手な人は観るのを勧めない。僕は見終えた後、無性に外に出たくなった。海の見える歩道橋を登り、平和を確認した後、自然と涙が出たのを覚えている。

12月8日

今年もこの日が来てしまった。1980年、12月8日。ジョンレノンが自宅前でマークチャップマンに銃殺されて、40年。この40年という数字は同時に彼が生きた年数でもある。と思ったけどまだ39年しか経ってないな。なんだよ。40歳という若さで彼はこの世を去った。僕の最初のヒーローの1人である。彼の伝記漫画を読んでThe Beatlesの存在、彼の存在を知った。小学5年生の頃に学年のイベントにてlove me doを独唱した経験がある。僕はThe Beatlesが、ジョンレノンというミュージシャンが好きな少年だった。

このThe Beatles、ジョンレノンに出会わなかったら今の僕のアイデンティティは違うものになっていただろう。良くも悪くも僕は彼らに人生を狂わされた。見ろ。この駄文を綴ってる僕を。夢がある。その夢を見せたのは彼らだ。彼らは重罪を犯してしまった。何と罪深い。何といけないことだ!

ジョンレノンの死にまつわる話では、オールマイラヴィングの話が好きだ。是非とも調べて見て欲しい。

古典

放課後、俺は古典の勉強をしている。進路室にて。静かな部屋の中、静かにラジオのリクエスト曲が聞こえる部屋の中。少し寒くなってきた部屋の中。ボロボロになってきたパイプ椅子に腰掛けて。この後家に帰ったら絶対ギターを弾こう。お気に入りの曲を聴こう。そんなことを考えながら。それでも課題には真面目に取り組みながら。俺は古典の勉強をしている。

1人だけではない。俺の属するクラスの現代文を担当している古典のスペシャリストに教えを説いて頂いてる。この国語教師、俺は、先生が大好きだ。この学校1のお気に入りの先生。チョコンと立っていて、可愛らしい。そして、おっとりしていて、お茶目。でも、偶に見せる、余裕がない時。その時少し、雑になる。この人間臭さが、愛おしい。俺は、この先生が大好きだ。そんな先生と、ワンツーマンの講義。或る詩から言葉を借用するのなら、2人だけの世界。ハハハ、愉快、愉快。俺が気障で気持ち悪いこと、俺がよく知ってるのさ。俺は1人ではない。ない筈だ。

記憶が正しければ、10月の半ば頃から古典を学び始めた。この短期間で、俺は古典の基礎が何となく分かってきた。が、これは本来、出来て当然の筈だった。生憎、俺は古典が苦手(そもそも教わった教員とのウマが合わなかったというのもあるの)だ。それ故に、古典の基礎が分からぬまま、自分の直感を信じて問題を解いてきた。しかし、それにも限界があると感じた。また、私立の大学とはいえ、文学を学ぶ学科に進学することになった。そんな中、これが出来ないとなると、非常に無謀で、馬鹿で、能天気で、恥知らずで、田舎者で、出来損ないで、無知で、非常識で、恩を仇で返しかねない、社会不適合として生きねばならない。尤も、俺がそれに該当していないとは言えないが、言いたいこと、分かってくれるだろう。今は全部は言いたくない。でも、俺の思う大学は、こんなにも厳かな場所なんだ。そうであって欲しい。恐らく、それは叶う事は無いと思うが。(でもって、幼稚っぽくて、良いね。気に入った)俺は、古典を学び始めて、良かったと思う。