あらかき

躁鬱の即席遺書

ハードデイズナイト

疲れた。一日中働いた。犬のように働いた。足が丸太のようだ。はやく帰りを待っている君に出逢いたい。独り身は辛い。寒い夜が、僕を傷付ける。雨も降ってきて、なんだか硝子に映る自分が悲劇な俳優に見える。くたびれたジャケットと、大層な責任を背負って。塾の仕事もほとんど慣れた。課題も分厚いノートを仕上げて、読書感想文だけとなった。原稿用紙を買って、さっさと本を読まないといけない。俺に休みはないんだなと、染み染み思う。途中、他人の幸せが見える。華やかだ。限りなく華やかに見える。俗っぽい幸せだけど、私もそれを望んでたんだなと思う。そして、この堕落した汚らわしい自分とそれを照らし合わせて傷付く。呆れた。とても悲しくなる。何故こんな道を歩いているのだろうか。冷たい風が、僕の体を震わせる。本当にこれで良いのだろうか。全く正体の分からない不安が、次第に肥大化していく。そこで、私は思考を止める事にした。簡単な事である。食事を楽しむ事だ。味覚を刺激して、己の感受性を刺激する。あぁ、俺は生きている。この喉を通って行った御馳走達に生かされているんだ。そのあと、お腹に血液が周り、眠くなる。最悪な思考を止める三要素である。おかげで昼食を取ると眠くなってしまう。これは、非常に厄介である。音楽も、私の心を潤してくれる。様々なジャンルを聴くようにしているが、まだまだ勉強不足だなと感じる。また、音楽の時代背景を考えるようになった。例えば、沖縄音楽。あの泥臭さやリズム感は、黒人音楽に似たものを感じる。その背景を辿ると、薩摩侵攻とシンガポールの繁栄が根本的な原因ではないかと思う。そして、米国からの占領も重大な出来事だっただろう。そんな事をふと思う。疲れた時は、やはり、聴き慣れたThe Beatlesやクラシックロック、Bluesなどが耳に馴染む。聴き慣れた音楽、本当に素敵なものである。大事にしていきたい。最近、筋トレを頑張って続けているが、躁鬱病が多少筋肉がつき始めた、と云った様な出来で、特別体の変化は未だ感じず。それでも何かがあると信じきってスクワットを続ける自分が、どうも滑稽で、惨めな気さえもしてきた。本当に僕は、先が怖い。自信家に見られがちだが、俺もそこまで楽ではない。人間失格が多数に共感されている。みんな自分にしか理解できないと言っている。大庭葉蔵など、全国にいるんだと思った時、自分の中の何かが醒めた。惜しかったな。失敬。