あらかき

躁鬱の即席遺書

故郷

 沖縄、故郷をどう批評して良いのか。分からない。讃えるべきか。貶すべきか。唯、今回の東京遠征で、僕の故郷に対する考えが変わったことは確かである。かといって、故郷をどう批評すべきなのかは今でも慎重にならねばならない。

 

 一時期、僕は沖縄の人間、文化、政治。何から何まで大嫌いな時期があった。その名残が今も残っている。僕は方言を喋るのが苦手なのだ。意識して言葉を選ばないといけない。その単語がどのような意味を持っているのか。それもまるで分からない。その頃僕は自分の発する言葉の訛りにコンプレックスを覚えた。必死に直そうと試みた。又、同時に他人の訛りを不快に感じた。

 

 音楽もあまり好きではなかった。いや、それには語弊がある。音楽自体は嫌いではないが、それに乗っかる習慣が嫌いだった。道ジュネー、カチャーシー、指笛。とにかくあのノリが大嫌いだった。なぜあそこまで他人の領域を侵してまで踊り狂って騒ぎたいのか、不思議で仕方なかった。

 

 物流が貧弱なのは今でも遺憾だ。沖縄は観光業に力を入れている。が、他のことに対して物申すなら、それ以外は貧弱なのだ。楽器店もそれほど大きい店はないし、イオンはまだジャスコと呼ばれている。鉄道はまだモノレールしか存在しないし、物価も近頃値段が上がっていく。もう少し観光以外のことにも力を入れて欲しいものだ。

 

 が、いつの頃からか、僕は沖縄に興味を持ち出した。琉歌や方言、今後の沖縄についてだったり、自然や城について。具体的な理由は覚えてないが、きっかけは確かにあった。何故あんなに故郷を軽蔑していたのか。今回のそれでふと思い出すと恋しくなったりした。はは。やっぱり僕はここの人間なんだなと思った。東京に対する憧れが変わったわけでは無いが、沖縄に対する思いというものは、いい方向に向かっているだろう。故郷と両親、そして旧友と妻は無条件で恋しくなるものなのだろう。それは僕も例外ではなかった。