あらかき

躁鬱の即席遺書

黄金週間

  例の10連休である。年号が変わった。平成が死に、令和が生まれた。また、これが大層な出来事らしく、今年2度目の正月を迎えたような反応が多々見られ、僕は複雑な心情で平成を見捨てた。無論無関心な訳ではなかった。ただ、昨年より、""平成最後の""だとか""新しい元号が""だとか""これを境に""といった趣旨の話を散々聞かされ、僕はうんざりしていた。というのも、その彼等の話に重みを感じることはなく、とてもつまらなかったからに他はない。彼等、このようなイベントに便乗しないと、いちにち1日を満足に過ごすことができないらしい。無論それは悪いことではないが、あそこまで執着深く披露する話題でも無いと思うし尚更それで人を煽る行為というか、姿勢というか、兎に角それが気に入らなかった。やれやれ。

 

 職場では、珍しくその趣旨の話題が出てくることはなかった。しかし、やはり職場は職場であった。上司の気まぐれでスケジュールを組まれること程怒りを覚えることはない。それもあり僕は職場を敵とみなすことにした。6月末に離職できるのが楽しみで仕方ない。又、その職場でその上司の悪口を聞き合う機会があったのだが、これが痛快で仕方がなかった。やはり、あんな人間をよく思う人は少数に違いないのだ。あの人間のような人種は嫌うしか無い。その上司がいなければ、良い職場になってたというのは言うまでもないが、それは僕の主観的な意見に過ぎない。当てにするなよ。

 

  ゴールデンウィークの後半は、上記の通りで、僕は働かないといけなくなった。更に不幸ことに、ゴールデンウィークが開けると、学校長がまた得意げに令和について一つ、つまらない話を披露すると予想される。ため息が出るな。まったく。話のつまらない人間は人前でダラダラと喋るのを慎むべきだ。天皇陛下のその儀式は10分で終わったと聞く。一般市民の壮年がダラダラと若いのにお喋りを披露するのはイジメの罪が重いと感じる。まあ、そう思うのは僕だけではあるまい。

 

 さて、ブログのネタもそこまで豊富ではないのだ。ここで何か知恵を絞って噺を披露しようと試みるも、この時間には珍しくはっぴいえんどの1stが流れている。とっても気怠い気分になってしまう。やるせない。なんともいえない感情で、心がいっぱいに詰まってしまう。見えない渋滞。これ以上突っかからずに、潮時と見てここは引いた方が良いのは、確かなのだろう。