あらかき

躁鬱の即席遺書

新しいこと

家に居る。外出はしないのに課題だけが増えていく最悪な日々が続いていた。普段よく聴く音楽を聴くと、かえって憂鬱になったりしてストレスがたまる一方であった。言ってしまえば、それは最悪だった。そこで、新しいことを始めようと思った。

とはいえ、そんな大層なことをしようとはこれっぽっちも考えてはいない。新しい音楽を聴いたり曲をコピーしようと試みたりしているだけである。最近はまた洋楽を聴く機会が増えた。相変わらず黒人音楽を探ったりしているが、久しぶりにブロティッシュロックなどといった所謂白人音楽も聴いている。しっくりこないのもあるが、それでも学ぶことはあった。そして、大学生にもなったので、今まで封印していた(言い方がダサい)ジャズや、クラシック音楽といったジャンルに手を付けた。特にバッハに感銘を受けた。まだコードも確立していない時期の楽曲なのか、とても独特な音楽だなと思ったのと同時に、メロディアスなフレーズで心地良くなる。リードフレーズは勿論、ベースフレーズも素晴らしかった。ギターでコピーしたい音楽であった。また、ケニーバレルもグレイトなギタリストであった。ブルースがルーツなのだろうと思わせるフレーズではあるものの、ちゃんとジャズの香りのするニュアンスやトーンであった。これもまた刺激的なギタリストだなと思った。

改めて自分の好きなミュージシャンの楽曲を聴く機会も増えた。何年振りかに、The Beatlesをしっかり聴いた。ポールマッカートニーの楽曲は年を重ねる度に良く聴こえてくる。優れたメロディーメーカーだなと思った。しかし、私が共感を抱くのは、どちらかと言うとジョンレノンやジョージハリスン、特にジョージの楽曲はそれを抱きやすい。やはり私の骨格を作り上げたのはジョンやジョージなのだろうと感じた。また、SRVの楽曲も私の心に響くギターソロを奏でてくれる。もう亡くなったのが惜しいが、あの優れたトーンは今でも私の目指す答えの一つである。

TwitterやLINEでの所謂SNSでの新たな出会いをここ最近遭遇している。私のギタープレイを良いと評価して下さったり、まだ見ぬ界隈での交流でもあるため、嬉しかったりドキドキしたり、その感情の起伏は多岐に渡る。まだまだ先を目指さなければならないと思ったし、実際ここで天狗になったら絶対ダサくて最悪だなと思った。どんな状態でも練習あるのみだなと溜息をついた。

自宅待機

ここ最近不要不急の外出をしない日々が続く。やるべき事は増え続けるのに。某ウイルスの活発な活動によって俺の生活様式がめちゃくちゃにされたのは遺憾極まりない。大学からの課題は当然の様に増えていく。印象は最悪である。オンライン授業も嫌だと思ったが、いざ受けてみるとこれが案外楽に受けることができ、ワードを用いた慣れないレポートやいまいちする意味のわからない課題を課せられる方が、よっぽどストレスがかかることが証明された。こんなものにお金を払うのは御免被りたいものである。
最近は朝起きると窓を開けて換気をしている。空気が良くなると気分も良くなるので。そして一日一食だけの生活にし始めた。というのも、昼食を用意したり、後片付けをするのも億劫だし、そこまで昼に食欲が刺激されることもないので、ならまとめて夜に食べちゃえという、なんともいい加減な理由で始めた。しかし、一日一食生活は大衆が思っているよりも健康に良いらしい。まだ変わったところといえば朝はやく起きる事が出来るようになったくらいだが、後々変化も多くみられるだろう。ただ、休日くらい、すき勝手に食べさせて頂く。別に俺は健康を目的にしたり、ダイエットをするために一日一食にしたわけではない。(俺は心配されるほど痩せている)
音楽の話をするのは、あまり好きではない。もちろん楽しい時もあるがそれは人を選ぶ。基本俺は音楽の話で楽しい思いをすることがない人だ。ただ、この字数でブログを終えるのもなんか癪に触れるので音楽の話をする。最近は情緒が変に不安定だ。これは何もいまに始まったことではない。高校1年の頃からこの時期は情緒が不安定になる。些細なことでイライラしたり、酷く落ち込んだり、とても苦しくなったり、抑えきれない高揚に襲われたりする。昔大好きだったThe Beatlesを久々に聴いた。とても安心した。こんな日々には、やはり癒しは必要なんだろうなと思った。歳をとる度にポールマッカートニーの良さが分かってくる。しかし未だに俺はジョージ推しである。しかし、ポールも最近は大好きだ。俺は丸眼鏡を愛用しているが、ジョンレノンに影響を受けたのかとよく聞かれる。否定は出来ないが、どっちかと言えばクラプトンに影響されたことをここで公言する。
こんなご時世なので収入も気晴らしも出来ないが、ポールも使ってたテキサンが欲しいなと思うこの頃である。いやしかし買いたいな。

大学生

4月1日、晴れて僕は大学生になった。期待よりも不安の方が積りに積もってしまい気が狂いそうな中参加したオリエンテーション。周りを見渡せば、オタク。オタク。オタク。オイオイここは市立大学の文系じゃなかったのかと思ったが、どうせみんな俗に言う大学デビューをして一皮剥くのであろう。仮面ライダーカブトのワームと云う怪物が丁度そんな感じなので、奴らはきっとワームだ。間違いなく。
僕は古典文学を勉強したいと面接の際申し上げた。当初それは嘘であった。が、世の中何が起こるか分からなく、今ではすっかりその気になってしまった。時間割を編成するときに、古典文学を沢山勉強出来るように組みたかった。多少不満は残る時間割になったが、それでも合格基準は満たせるようには編成出来たので、僕は妥協することにした。いやそれでもまだ高校の推しの先生の事を引きずってる。あゝため息ため息。そういえば古典文学をもう一度基礎から勉強し直すらしい。講義の内容がそう記されていたので、なんとなく安心した。それと同時に何だ、勉強しなくて良かったじゃん、と一瞬思ってしまった。馬鹿野郎。俺と先生との大切な思い出を否定する事は一瞬たりとも許す訳にはいかない。絶対に。少しアツくなった。話題を少し変えよう。
大学生活で絶対にやりたい事がいくつかある。バンド活動は絶対にしたいと思っている。特に重要視したいのは人間関係だ。はっきり言って僕はコミニケーションを図る事が大嫌いである。あそこまで気力を使う仕事は他に肉体労働以外に知らないからである。社会に出たらそれは必須になるのが、大変遺憾である。そんな訳で、適度な距離感を保てる仲の悪くない人とバンドが組みたい。それだと徐々に仲良くなるだろうし一々くだらない無駄な事で喧嘩をしなくて済む。結局のところ、僕はバンドメンバーと酒の回し飲みをしながら未来を語る生活など全く求めていないのだ。美味しいご飯の話をしようよ。そこに座って。さぁ。どんな音楽がしたいのかは多くは言いたくないけど、歌謡ロックをやるつもり。いっぱい曲を作ってオリジナリティを求めたい。はやく自分を表現したい。自分を楽しませたい。覚悟は出来ている。やはり演奏能力もある程度あると嬉しいな。最高のバンドが組みたい。絶対組むぞ。この4年間で僕の演奏スキルも磨きたい。精進あるのみだよね。進学してもしなくても。頑張るよ。でも世の中、頑張らないといけない事がやけに多い気もするんだよな。

 まるで子供が母親のスカートを引っ張る様に、僕はまだ先生の助けを求めていますが、それでは決していけないのです。
 今日、僕は通っていた高校で1番好きな先生に卒業アルバムの寄書きを書いてもらうべく足を運んだ。先生と過ごした日々は、やや短いかもしれないが、どんなに美しい宝より尊いと言える。
 その先生は、M先生(以下、先生と記す。面倒なので)と云う。会議が大嫌いで、古典が大好きな先生である。僕が高校3年生になった頃、那覇の或る高校から赴任なさった。第一印象からとても好意的に思えたのを覚えている。第一印象から印象が良い、と云うのは僕には珍しいことであった。容姿は勿論、声、喋り方、授業のやり方、そして考え方も。教員を好しとしなかった僕が満点を差し出す程、彼女はパーフェクトな先生である。先生の授業を受けて、僕の執筆の腕も勝手に上達して、とても驚いたこともある。先生から教わったものは、今の僕を作っていると言っても過言ではない。
 しかし、僕が先生との思い出で最も印象に残っているのは授業ではない。大学に合格した際、古典が無学で不勉強だったので、それを機に先生に一から教えてもらおうと試みた事がある。それを先生は快く受け入れてくれた。10月から僕と先生の放課後古典レッスンが始まった。この2人だけの空間が、僕には居心地が良すぎた。僕は先生の期待に応えるべく、飴を与える事を良しとせず、基礎のきから体に叩き込んだ。お陰で僕は著しく成長する事が出来た。しかし、ここまで成長できた最大の要因は、先生の教え方が僕と相性が完璧だった事である。古典の面白さを僕に伝える事が出来たのは、先生が初めてです。僕の、汚れた青春の唯一の華だったのかも知れませんね。
 年が明けてからは、先生も忙しくなり、満足のいくレッスンは多くはこなせなかったが、それでも先生とのレッスンは楽しい思い出ばかりであった。今では僕も中学生を相手に古典を教えるようになった。「僕の実力はまだまだですが、もっと精進します」と先生に申し上げると、「当たり前さ〜、もっと頑張って」と冷めたようにおっしゃるのも、なんだか先生らしくて僕は大好きでした。そして今日、僕は先生に寄書きを書いてもらった。先生の為に真っ白にしたままで挑んだ。先生はそんなに書けないと笑ったが、先生は僕が驚く程、その白紙を僕宛のメッセージで埋めてくれた。僕は本当に嬉しかった。こうやって文字を記している間にも、先生との思い出に浸って、涙を堪えるのに精一杯です。先生との別れは寂しくて辛いのですが、弟子がいつまでもそれでは、師である貴女は報われないでしょう。だから僕は巣立ちます。その為の3月だと、卒業だと思っています。

宣言

 僕の人生を振り返ってみても、あまり陽が差す人生ではありませんでした。振り返ると常に怒った大人達のしかめっ面、嘲笑う餓鬼の汚い顔。それが怖くて、今でも敏感になります。僕は昔から所謂"変わり者"として認知されていたらしく、変に見られたり、幼さ故のつまらない虐めの被害にあった記憶があります。また、親をはじめとする大人達によく叱られた記憶も残っています。しかし、何故怒られたのかは今でもよく覚えておらず、またこの例の嫌なしかめっ面だけが、映像として鮮明に頭の中に居座り続けています。それでも、その不思議な感性を以ってして、適当に振る舞っていると、大人達は、その何かに感心して、裏でこっそり褒めていたのだろうと、今になって思い始めてきました。その当時はまだ幼く、考える力が発達していなかったのが幸いに、これらのことを考えることはありませんでした。小学生の頃も、大体このような生活を送ってきたと記憶しています。と云うのも、小学生の頃の記憶が、今となってはぼんやりと霞んでしまっている為、正確な事を綴る事が困難だからです。しかし、これらの曖昧な記憶も、しっかりと僕のこの陰鬱な性質を決定付ける非常に重要な出来事だったのだと後になって分かりました。
 僕が陰鬱になったのは、中学2年生の頃だったと鮮明に覚えています。仲が良すぎたと錯覚していたクラスから離れて、当時の生活に馴染めなかった私は口を開くのを辞め、真面目なキャラを演じることにしました。1年間だけそうするのも、滑稽に感じたので、中学校では、そのキャラを演じることにしました。今、演じると云うなんだか格好のつく洒落たような振る舞いに見せているが、実際はそんなお洒落なものでは当然なく、このキャラはあまり先生方にも受けなかった感触がありました。それまで僕の想像していた真面目な生徒は先生に好かれるという偏見が打ち砕かれました。唯、この言葉には少し語弊があり、僕が余りにも消極的だったこともあってだったのだろうと今になって思い始めてきました。唯陰鬱に今日この日を生き延びる事が、とても厳しく辛いものだと実感した年でした。また、この中学2年の頃は、僕の他の一面でも多大な影響を受けた年でした。本格的に音楽にのめり込んだのがこの年で、友達も、味方も、また自分の居場所もなかった時期でもあったので、音楽という媒体にのめり込んだのも無理はなかったと思う反面、この一年がまた別の様な結果になっていたら、ここまで未来の道も狭まることは無かったのだろうと思います。
 高校に進学して、また更に僕は道化を演じることにしました。やはり、先生方も他の生徒(無論一部は除く)も、この僕の道化が好物らしく、中学の頃よりも生活しやすい環境を得る事ができました。また、中学の頃の陰鬱な僕を知っている知人達は、「変わったね」だとか、「あんな奴だったんだ」などと影で言っていたらしく、それを聞いたときは思わず笑ってしまいました。また、僕を面白い奴だとか、変わってる人、賢い人(僕の通っていた高校は地元でも有名なFラン高校であった為)と評価する人もいましたが、それも全部計算通りだったので得意になり、彼らを小馬鹿にしたりしていました。それと同時に、僕のことを変わらないと評価する人も少なからずいました。その様な人たちに限って、何か僕のこの陰鬱な様を少しばかりは晒しても良いかもしれないと思いもしました。また、高校に入学してからしばらくして、そううつ病の症状に似たようなものに悩まされる様になりました(未だに診断をしていないので、それでは無いのです)。この3年間(今も少なからず)このそううつ擬に悩まされる日々を送りました。僕の理想としていた青春の日々は、この病気の所為で送れなかったと今でも思っています。そうでもしなければ、僕自身にある莫大な非を認めて、また惨めに生活しないといけないからです。
 僕の人生はこれだけです。白紙1枚、そこにあるだけなのです。他といえば無駄に肥えた音楽のあれこれと、くだらない雑学があるだけです。僕の人生経験はただのハッタリに過ぎなかったのです。その白紙一枚の為に手を差し出してくれる数少ない友人にはとても感謝しています。ですが、結局僕は1人なのです。僕は孤独を受け入れるしか無いのですが、僕はまだ孤独を受け入れたくは無いのです。そして、僕はもう道化を演じることに疲れてしまいました。道化を演じて得たものは、演じた道化に対する評価だけです。ここまで命を削って得た対価に僕は不満があります。もう僕は道化を演じるのを辞めようかと思います。陰鬱な出来損ないが、まだ音楽とその他を肥やそうとする様を、皆さんには見て頂きたい。嫌なら、もう言うことはない。僕は道化を辞める。これからは唯陰鬱な彼が、彼の為に、溜息を吐くのです。

卒業

 卒業した。ついに卒業したのだ。この3年間、長く感じたが、一通り終えるとあっという間に感じる。入学式の頃を今でも覚えている。思えば最初もこの体育館から始まったなとしみじみ思った。入学式、僕はものもらいを患っていた。右目の上側に出来ていたので痛くはなく、それでも周りからは心配されるような状態だった。卒業式の1週間前に、全く同じ場所にものもらいが出来た。ものもらいで始まりものもらいで終わる高校生活。なんだが滑稽でやるせない。
 この3年間を振り返ると、楽しかったなと思える雰囲気は陽炎となってそこにあったが、いざ何が楽しかったのかと問われると、言葉を失ってしまう。どちらかといえば苦に感じることが多かった為だ。高校生活を通して、僕の情緒は不安定であった。所謂躁鬱病のような症状が現れ始めたのが高校1年生の頃だ。それ以降、僕は今に至るまでそれと向き合ってきた。気がつけば周りの事に気を使う事が難しくなっていた。孤立したような気がしていた。不定期に襲うそれは、僕を酷く傷つけた。その症状は年々悪化していった。どうやって向き合えば良いのかなどと考えていたが、疲れた。だから僕は考えるのをやめた。自分の事を多少馬鹿らしく思う日があるが、それによって精神が安定するならいいやと開き直った。でもそれも一時的に過ぎず、たまに辛くなる日がある。それは仕方がないなと諦めもしている。先程も記したように、鮮明に覚えている楽しい出来事が少ない。強いて言うなら自分の好きな教員との古典の放課後講座くらいである。それは最近の出来事なので覚えてない方が不自然だが、他に何もない。僕は進学を第一に考えてこの高校を選び通い続けてきたが、それによって得たものは何なのか。まるで分からない。進学は無事に出来たものの、安心よりも不安が多い。残りの日々も、不勉強故に課題に追われて、僕の想像していた青春の日々は幻に終わった。大学にも青春は残っていると人は言うが、それが本当だとは到底思えない。あの年頃の人間は多少汚れているのが主である為である。汚れたくない。汚れたものを見たくないという思いが一層強まり、大学生活に対する想いは曇天に覆われるばかりである。兄が大学を中退したのが、今では分かる気がする。少なくとも今の僕に、大学に対する好印象なものはあまり無いのである。校舎や教授をはじめとする教員などは素敵なのかもしれないが、学生のそれが僕は怖いのである。あそこに通う事で僕の大事なものが無くなっていくような気がして止まない。
 もうやめよう、暗いことばっかり想像してもつまらない。何か楽しい事を考えよう。大学には一応、文学を勉強するために通うつもりでいる。その他にも図書館に通って様々な文献に触れたいと考えている。24時間では全く足りないのである。音楽活動も本格的に始めたいと思っている。中学2年から始めたギターも、今ではそれなりに演奏できるようになった。まだまだ上手ではないが、伸び代は十分に残っている。僕はバンドマンとして生活したいと幼い頃から考えていたので、その夢が叶うと、嬉しい。寂しい日が多いので恋人も欲しい。こんな奴に恋人が出来たらそれは大層なことだ。もういいや、どの話題も暗くなるばかりだ。あーあ。

Ginger Baker

2019年10月6日、僕の愛してやまないロックバンド、Cream のジンジャーベイカー氏が亡くなった。80歳であった。僕の記憶が正しければ、大好きなミュージシャンの死に対面してショックを受けたのはこれが初めてであった。プリンスやアランホールズワースもショックを受けたが、その当時は好んで聴いてはいなかった。ジンジャーベイカーが初めてであった。

亡くなる直前、危篤の情報を得た。あぁ、もうジンジャーもダメかもしれない。なんとなくそう思った。あの歳で、未だにコカインを服用している、といった話題が挙がっていた彼であったので、そう思った。そしてしばらくして、彼はこの世を去った。

僕がジンジャーベイカーを知ったきっかけは、エリッククラプトンにある。熱心なThe Beatlesオタクであった僕をギターの世界に導いた人物である。彼は、僕の初めてのギターヒーローの1人だ。そんな彼のキャリアを追体験すべく、僕は彼が在籍していたバンドを聴くことにした。確か中学2年の終わりと記憶している。Creamというロックバンドを初めて聴いたのは。White roomやCross road、sunshine of your loveといった楽曲を聴いたときは、熱狂した。そして高校に上がる頃には、僕のフェイバリットのひとつになっていた。当時既にジャックブルースは亡くなっていて、2人は長生きして欲しいなと思っていた。偶にジンジャーベイカーが体調不良で公演をキャンセルした、といったようなニュースや、エリッククラプトンの腕や耳の調子が悪化しているといった話題も耳にしていたから、尚更そう思っていた。

僕はジンジャーベイカーのドラムソロが好きだ。何故なら、上手くて、聴いてて愉快になるからである。Led Zeppelinを変に批判したのは如何なものかとは思ったが、それでも彼のドラムプレイは素晴らしいものだった。そんな彼が亡くなった、と聞いたときは、あまり実感が湧かなかった。しかし、Creamは聴かなくなっていた。おそらく彼が亡くなったということを受け入れたくなかったからだと思う。そして今に至り、ふとCreamが聴きたくなった。音源を聴くと、あぁ、耳に馴染んだ素晴らしいアンサンブルが聴こえる。そして彼のドラムソロ、やはり素晴らしいものだった。中学生や高校1年生の頃に戻れる。それはとても心地の良いものであった。そして最近、エリッククラプトンをはじめとするジンジャーベイカートリビュートと称したライブがあったらしく、Creamの楽曲を演奏して、彼のこれまでのキャリアや演奏を称えた。


https://youtu.be/3hrN3fp3mSg

涙が落ちそうになった。彼の名は永遠に語り継がれるべきである。sunshine of your love