あらかき

躁鬱の即席遺書

卒業

 卒業した。ついに卒業したのだ。この3年間、長く感じたが、一通り終えるとあっという間に感じる。入学式の頃を今でも覚えている。思えば最初もこの体育館から始まったなとしみじみ思った。入学式、僕はものもらいを患っていた。右目の上側に出来ていたので痛くはなく、それでも周りからは心配されるような状態だった。卒業式の1週間前に、全く同じ場所にものもらいが出来た。ものもらいで始まりものもらいで終わる高校生活。なんだが滑稽でやるせない。
 この3年間を振り返ると、楽しかったなと思える雰囲気は陽炎となってそこにあったが、いざ何が楽しかったのかと問われると、言葉を失ってしまう。どちらかといえば苦に感じることが多かった為だ。高校生活を通して、僕の情緒は不安定であった。所謂躁鬱病のような症状が現れ始めたのが高校1年生の頃だ。それ以降、僕は今に至るまでそれと向き合ってきた。気がつけば周りの事に気を使う事が難しくなっていた。孤立したような気がしていた。不定期に襲うそれは、僕を酷く傷つけた。その症状は年々悪化していった。どうやって向き合えば良いのかなどと考えていたが、疲れた。だから僕は考えるのをやめた。自分の事を多少馬鹿らしく思う日があるが、それによって精神が安定するならいいやと開き直った。でもそれも一時的に過ぎず、たまに辛くなる日がある。それは仕方がないなと諦めもしている。先程も記したように、鮮明に覚えている楽しい出来事が少ない。強いて言うなら自分の好きな教員との古典の放課後講座くらいである。それは最近の出来事なので覚えてない方が不自然だが、他に何もない。僕は進学を第一に考えてこの高校を選び通い続けてきたが、それによって得たものは何なのか。まるで分からない。進学は無事に出来たものの、安心よりも不安が多い。残りの日々も、不勉強故に課題に追われて、僕の想像していた青春の日々は幻に終わった。大学にも青春は残っていると人は言うが、それが本当だとは到底思えない。あの年頃の人間は多少汚れているのが主である為である。汚れたくない。汚れたものを見たくないという思いが一層強まり、大学生活に対する想いは曇天に覆われるばかりである。兄が大学を中退したのが、今では分かる気がする。少なくとも今の僕に、大学に対する好印象なものはあまり無いのである。校舎や教授をはじめとする教員などは素敵なのかもしれないが、学生のそれが僕は怖いのである。あそこに通う事で僕の大事なものが無くなっていくような気がして止まない。
 もうやめよう、暗いことばっかり想像してもつまらない。何か楽しい事を考えよう。大学には一応、文学を勉強するために通うつもりでいる。その他にも図書館に通って様々な文献に触れたいと考えている。24時間では全く足りないのである。音楽活動も本格的に始めたいと思っている。中学2年から始めたギターも、今ではそれなりに演奏できるようになった。まだまだ上手ではないが、伸び代は十分に残っている。僕はバンドマンとして生活したいと幼い頃から考えていたので、その夢が叶うと、嬉しい。寂しい日が多いので恋人も欲しい。こんな奴に恋人が出来たらそれは大層なことだ。もういいや、どの話題も暗くなるばかりだ。あーあ。