あらかき

躁鬱の即席遺書

 まるで子供が母親のスカートを引っ張る様に、僕はまだ先生の助けを求めていますが、それでは決していけないのです。
 今日、僕は通っていた高校で1番好きな先生に卒業アルバムの寄書きを書いてもらうべく足を運んだ。先生と過ごした日々は、やや短いかもしれないが、どんなに美しい宝より尊いと言える。
 その先生は、M先生(以下、先生と記す。面倒なので)と云う。会議が大嫌いで、古典が大好きな先生である。僕が高校3年生になった頃、那覇の或る高校から赴任なさった。第一印象からとても好意的に思えたのを覚えている。第一印象から印象が良い、と云うのは僕には珍しいことであった。容姿は勿論、声、喋り方、授業のやり方、そして考え方も。教員を好しとしなかった僕が満点を差し出す程、彼女はパーフェクトな先生である。先生の授業を受けて、僕の執筆の腕も勝手に上達して、とても驚いたこともある。先生から教わったものは、今の僕を作っていると言っても過言ではない。
 しかし、僕が先生との思い出で最も印象に残っているのは授業ではない。大学に合格した際、古典が無学で不勉強だったので、それを機に先生に一から教えてもらおうと試みた事がある。それを先生は快く受け入れてくれた。10月から僕と先生の放課後古典レッスンが始まった。この2人だけの空間が、僕には居心地が良すぎた。僕は先生の期待に応えるべく、飴を与える事を良しとせず、基礎のきから体に叩き込んだ。お陰で僕は著しく成長する事が出来た。しかし、ここまで成長できた最大の要因は、先生の教え方が僕と相性が完璧だった事である。古典の面白さを僕に伝える事が出来たのは、先生が初めてです。僕の、汚れた青春の唯一の華だったのかも知れませんね。
 年が明けてからは、先生も忙しくなり、満足のいくレッスンは多くはこなせなかったが、それでも先生とのレッスンは楽しい思い出ばかりであった。今では僕も中学生を相手に古典を教えるようになった。「僕の実力はまだまだですが、もっと精進します」と先生に申し上げると、「当たり前さ〜、もっと頑張って」と冷めたようにおっしゃるのも、なんだか先生らしくて僕は大好きでした。そして今日、僕は先生に寄書きを書いてもらった。先生の為に真っ白にしたままで挑んだ。先生はそんなに書けないと笑ったが、先生は僕が驚く程、その白紙を僕宛のメッセージで埋めてくれた。僕は本当に嬉しかった。こうやって文字を記している間にも、先生との思い出に浸って、涙を堪えるのに精一杯です。先生との別れは寂しくて辛いのですが、弟子がいつまでもそれでは、師である貴女は報われないでしょう。だから僕は巣立ちます。その為の3月だと、卒業だと思っています。